日本プロレス界の至宝!
栄光のインター王座 全日プロ編


第10代 ドリー・ファンク・ジュニア 防衛1回 



長い間、プロレス界の表舞台から消えていた、この王座が何故に唐突に復活したか?
それは歴史的には「NWAの勧告により返上」ということなってるのは周知の通り。
しかしこれは本質的には「馬場の交渉による剥奪」ということである。
では何故に馬場が今更になって、この王座を必要としたのか?
インターというのは前項で記した通りに馬場が長きに渡って保持し、
代名詞的なまでになっていた王座である。だが日プロ離脱の際に
アッサリと返上。その後も大木が保持していたにも関わらず完全に
「無視・放置」を決め込んでいたのである。それを何故に今更!?
答えは簡単。「もう一つタイトルが必要になったから」という非常に明快なもの。
これが現在ならば適当にタイトルなんぞ新設するだけだが当時としては
まだまだタイトルはアメリカ(特にNWA系)から奪取するというのが通例であった。
その方が権威があるからね。NWF然り、UN然り・・・。
但し当時でもPWFだけは既に馬場のお手盛りタイトルであったが(妖笑)
そこで馬場が目をつけたのが宙に浮いていた権威ある(あった)インターである。
さて、いい加減に何故に必要となったのか!なのだが
これは馬場の後継者たる鶴田に巻かせる為だけに他ならない。
当時は馬場から鶴田にエースの座を移しつつある頃であったのだ。
それにそろそろ全日本第3の男である天龍が台頭しつつあった。
しかし第3の男は原であったり、戸口だったりとまだまだ流動的ではあったのだが。
なので!その第3の男にそろそろベルトを巻かせようとしていたわけだ。
そうなるとベルトが一本足りないわけで・・・・。
だがここで妙だな?ということに気がつくはずだ。本当に馬場が鶴田にエースの座を
譲るのであれば!自身が保持していたPWFを鶴田に巻かせ鶴田のUNを第3の男に
そのままスライドさせればいいはずだ。
それをワザワザ馬場自身が歴史上から抹殺しようとしていたインターなんぞを
復活させたのか?ということは、まだまだ馬場は完全に大一線から退くつもりは
なかったということになるわな。
そもそも鶴田をエースに・・・というのは日本テレビの強い要請とも伝え聞くにあたり
やはりこれは馬場の本意ではなかったということだと思うのだが。
それにまだまだ鶴田だけに任せるのも心許なかったし、馬場の人気も
知名度という点を考えても絶大だったわけで。
しかし鶴田をエースに!というのは当然だが馬場は考えていたわけで
それならば!力道山〜馬場という歴史的にも権威のあるインターを鶴田に・・というわけだ。
これならば日本プロレス界のこれからのエースは鶴田だという絶好のアピールになるし
日本テレビにも面目が立つというわけだ。
しかし王座復活の手段としては馬場の政治的な手腕が非常に明快に現れたことになった。
悪く言えば権力を行使した汚いやり方だなぁ・・と当時の俺は思ったものだが。
このような経緯を考えれば通常であれば王者である大木に鶴田を挑戦させて奪えば
いいだけの話。しかし今まで散々無視・放置を決め込んでいたタイトルに
今更、現役王者でござい〜と大木をマットに上げるのを避けたのだ。
何せ馬場は大木の王座保持期間は無かったということしているのだから。
(日プロ崩壊と共に王座も空位になっているというのが馬場の見解)
このような複雑な背景の為に剥奪・王座決定トーナメントと相成ったわけだ。
だが復活させたが鶴田が即ベルトを巻くことはなかった。
流石にそれじゃあまりにも露骨でいやらしい・・と考えたのかね?
なのでクッションとして超1流のドリーに王座を移し失墜した権威の向上を計ったのではなかろうか。
悪く言えば、ほとぼりが冷めるまで待ったとも思えるが(笑)
それに子飼いのドリーならばタイトルはどうにでも出来るという思いがあったのだろうし。
う〜ん・・・この項やたらと長文になってしまったが、このコンテンツ自体が、これを書きたいがために
考えたのだから仕方ないな。なので他はオマケです(ぉぃ(妖笑)


第11代 ブルーザー・ブロディ 防衛0回 



折角復活させた王座だがドリーに持たせておいても何の意味も無い。
ドリーは、あくまでも元NWA王者が獲得した!という権威だけが必要だったのだからな。
それにベビーであるドリーから鶴田が王座を奪取したとしてもインパクトが弱い。
なのでこの時期ヒールであり全日本の事実上の外人エースであるブロディに移したと
考えられるね。
だがしかし僅か一ヶ月足らずで王座はドリーが奪還。
ううむ・・・これはインター王座云々ではなく無冠の帝王であったブロディ自身に
一旦箔をつけるためだったのか・・・?このあたりは謎です・・・はい。

第12代 ドリー・ファンク・ジュニア 防衛5回


しつこいようだが、ドリーが王座に就いていても馬場にとっては全く意味がない。
だがこの時にドリーは海外で殆どの防衛戦をこなしていることから
海外に於いてインター復活をアピールさせたかったのかね?
因みにドリーの防衛回数は4回というのが通説だが俺は5回だと思うのだが。
但し実際にはもっと多いかも?このへんがプロレスのいい加減なとこでもある(笑)

第13代 ブルーザー・ブロディ 防衛10回


鶴田に巻かせる為だけに復活させたというのに既に復活させてから実に2年も経過。
にも関わらず王座はドリーとブロディでタライ回しとはこれいかに?
これはねぇ〜・・・やはり馬場が思ってた以上に第3の男の台頭が遅くなったからでは?
それに2年という期間は、ほとぼりを冷ますには長過ぎるような気がするが
馬場にとってはそれほどでもなかったのではないかね。
なにせ用意周到であり石橋を叩いて渡らないとまで言われていたのだからな。
だがいい加減に機が熟しすぎであり、腐ってしまっては元も子もないので
いよいよ鶴田時代の幕開けである。
それにしてもプロレスらしいなぁ〜と思うのが鶴田はブロディに6度目の挑戦で
大願成就するわけだが(鶴田がというよりも馬場のだろうが(笑)
それまでの場所が海外であったり国内でも天竜や西脇であったりと
こんなとこで王座移動なんかするわけねえよ!とバレバレなのが
いかにもプロレスのタイトルマッチらしくていいよね(笑)

第14代 ジャンボ鶴田 防衛17回



そして王座奪取したときの会場は聖地である蔵前国技館!
非常に解りやすい・・・解り易過ぎます!馬場さん!(妖笑)
しかしドタバタの末のリングアウトってのがなぁ・・・。ここで鶴田がキチンと
フォールで勝っていたら、もっと鶴田時代の到来だという雰囲気にもなったと思うのだが。
さて、ここまで複雑に長い準備期間を経てようやく日本プロレス界の至宝!
日本プロレス界の真の後継者の証であるインター王座を遂に巻いたのだが
インパクトは今ひとつ。その理由はいくつかあるのだが先ずは
この時期、全日本にはPWFとUNもあったわけでね。なのでなんだか
単にタイトルが1個増えたなぁ〜って気もしたしな(笑)
それに王座奪取直後にニック・ボックウィンクルを破りAWA王座を獲得したこともあるだろうな。
これによって格上の世界王座を獲ってしまったということでインターが霞んでしまったのは
否めないだろう。更にいうと最大のライバルであったブロディが新日本に電撃移籍!
そうなれば同期であり外人エースであるハンセンと抗争開始!かと思えば
ハンセンは馬場のライバルとしてPWF専門になってたしなぁ。
ここらへんがタイトル乱立の弊害といおうかね。更に更に!!!
この時期になると日本人対決が盛んになり、強豪外人を呼んでタイトル戦!というのは
いささか古いプロレスになってきたんだよね。
かといって、馬場は天龍や長州と鶴田は差別化していたために日本人対決には
ベルト賭けるのを嫌ってたしなぁ。なので長州とのシングル戦もノンタイトルだったし。
新日本でも看板王座が無い時期で(WWFインター?アハハン!?)
プロレスに於けるタイトルとは一体何なのか?というのが非常に考えられた時代だったね。
まぁ日本人対決でベルトが賭けられなくなったのは長州が天龍とのUN戦を拒否して
ベルトを客席に投げるという暴挙も原因の一つかと思うのだが・・・・。
こんな訳でようやくインター王座を獲得し鶴田時代の到来かと思わせたが
いささか馬場の思惑とは外れていったような・・・。

第15代 スタン・ハンセン 防衛2回


のらりくらりと名勝負を残すこともなくインパクトのある試合をするでもなく
タイトルを守ってきた鶴田だったが、ハンセンにベルトを奪われることに。
馬場はようやく一線から退きPWF王座も長州に移し、ハンセンも馬場との抗争相手から
解き放たれたわけだ。
しかしこの頃のハンセンはAWA王座に就いていた為かダメダメで(笑)
鶴田・長州・天龍らと複数王座戦を繰り返していたが何度やっても不完全燃焼の
試合ばかりでインターの価値どころかプロレスに於けるタイトル自体の権威も失墜してたな。
そんなハンセンが鶴田からピンフォールで王座奪取!
だが決まり手は回転エビ固めということで大変失望させてくれたもんです。
それにこの頃になると馬場がキニスキーに破れタイトル海外流失!なんてインパクトは
微塵もなく試合内容・結果ともに何とも言えない試合だったなぁ(笑)
ところでこの時の防衛戦の中で長州と1戦だけやったんだが(長州が保持するPWFと2冠戦)
長州にとってはレスラー生涯で最初で最後のインター戦だったのが特筆される・・かな?(笑)
この辺は師匠の猪木に似てる・・・というより新日本系選手なのだから当たり前ですかね。
藤波も1回だけだったし・・・・。

第16代 ジャンボ鶴田 防衛5回



予定通りにタイトルを奪還したのだが全くインパクトはなかったな。
一応ピンフォールで獲ったのだが、この頃のハンセンにピンとっていいのは
クイックだけ!という暗黙の了解よろしく「首固め」じゃあな。それに確か当日は
セミに降格されたような・・・?いよいよもってインターという金看板だけじゃ
通用しないという時代なんだなと痛感させられたよ。そして決定的だったのが初防衛戦の
トミー・リッチ戦。元NWA王者という看板だけで組まれたのだが内容もなにもなく
鶴田が試合後に「(持ち味を)引き出そうと思って引き出しを開けたら空だった。」
こうコメントしたように、もうここらへんで外人とのタイトル戦だけで客は呼べない・満足させられない
と同時に全日本が・・・いや日本マスコミ・ファンが作り上げてきたNWA幻想というものまでも
木っ端微塵に打ち砕いた一戦だったな。いや本当にリッチ戦ってのは何の記憶にも残らないような
凡戦の典型なんだが、こうして考察していくと意外と奥が深いね。
これだからプロレスは面白いのだが(笑)
しかしこのリッチ戦を境に長州率いるジャパン軍が全日本を離脱!それに触発されたように
天龍革命が勃発!かくして鶴田vs天龍のシングル戦が多く組まれるようになったのだが
相も変わらずに試合はノンタイトルで行われた。
一応ロートル外人(ブッチャーやニックじゃなぁ)相手にポツポツと防衛してはいたが
権威の失墜はもうそれすら語られることもないほどになっていた。
これはPWFやUNも同じこと。そうなれば権威の無いタイトルばかり幾つもあっても仕方が無い!
NWAという絶対的な権威も崩壊していた時代の風も受けて統一の機運が高まり始めたのは
ごく自然なことだったろう。まぁ実際は馬場がタイトルに一切関わらなくなったからというのが
ちょっと意地悪な見解なんだが(妖笑)
これは馬場自身が出なくてよくなったからチャンピオンカーニバルをリーグ戦に戻したという
事実からも的を得た考えだと思うのだがね(笑)

第17代 ブルーザー・ブロディ 防衛2回



新日本とダブルクロスして事実上、追放された形になっていたブロディが何かこうドサクサに
紛れたかたちで復帰(笑)馬場はダブルクロスした選手は2度と上げないというのが身上なのだが
ブッチャーが復帰していたこと。新日本とも協調路線に入ってたいたことの恩恵を受けたカタチですな。
そしてS63のチャンピオンカーニバルに於いて、ついに宿命のライバルである鶴田との
一戦が実現!見事キングコングニードロップにて鶴田からピンを獲り堂々の王座奪取劇を演じることに。
この一戦は今でも名勝負と言われてるのだが、俺は個人的にはセミで行われたハンセンvs天龍の方が
インパクト感じて好きなんだけどねぇ(笑)
そしていよいよ史上初のインター・PWF・UNの統一戦がPWF・UN王者である天龍との間で
行われることになった。もうねぇ・・・この一戦にかける期待といったら半端じゃなかったね。
勿論統一戦ということもあるが待望の天龍とのシングル戦ということでねぇ。
しかし!田舎モノの俺にとっては観に行くことは不可能。なので当然テレビ観戦となるわけだが
このテレビ放送に俺は翻弄される。先ずこのシリーズから、それまでのゴールデンタイムから降格され
深夜に移行したわけだ。この点は野球シーズンになると放送が潰れ、その代替放送が一切なかった
田舎に住んでいた俺には逆に有り難かったけどね。だが!放送が異常に遅く確か東京よりも
3週ほど遅れていたはずだ。こうなると出来るだけ生の感覚で観たい!という願いは難しくなる。
試合が行われてから放送まで結果などの情報を一切遮断しなくてはならないのだが
これがねぇ〜当時のプロレスキチガイの俺にとっては大変で(笑)
それでもゴングも読まず、スポーツ新聞も読まず、ひたすら放送を指折り数えて待ってたわけよ。
全く涙ぐましい話だな(笑)
だがしかし!これらの努力(?)をぶち壊す腹立たしいファンへの配慮の欠片もないような事件が!!!
それは当時の放送では試合中に次週のカードなんつうのがスーパーで流れてたのよ。
そんでこのシリーズは放送が多く、3.27武道館を皮切りに4.4名古屋4.15大阪4.17仙台
4.22川崎だったかな・・・。だが試合日程とは裏腹に放送日程は遅い。
例えば4.15大阪を放送する頃には既に5月みたいな感じだ。更に地方(田舎(笑)じゃ東京よりも
遅くなるわけで・・・。なので結果を遮断するのが大変だったわけよ。
しかし今にして思えばいくら放送が遅いといえども毎週のように主要試合が放送され
1時間枠だったのだから贅沢な悩みではあるけどな。現在のメジャー3団体全てが30分枠なのを
考えると・・・・。
なので!放送が遅いのは仕方がないとしよう。何度も繰り返すが結果さえ知らなければ
とっくに終わってる試合でも生感覚で観られるのだから。
だが!!!事件は起こった!確か4.4名古屋の放送だったかなぁ。
次週のカードがブロディvs谷津の放送中に流れたわけよ。試合中ということなんで当然スーパーは
こうなる「4・4勝者vs天龍」そういよいよ大阪で3冠が統一されるわけだ。
なのでブロディvs谷津はインター戦なのでこうなるわけだ。これは当然だよな。
実は試合はとっくの昔に終わってるのだが、だからといって試合中に
次週は「ブロディvs天龍」と流してはダメなわけよ。
なのでここまでは良いだろう。だが!その後に表示されたスーパーに俺は目を疑った!!!
次々週のカード「4.15の勝者vs鶴田」うむ・・・そして!「天龍・原vs(忘れた)」
はぁ!!!???4.15は天龍vsブロディですよ!?なのに天龍のカードが!!!
もうねぇ・・・アホかと。バカかと。死ねよと。一体俺は何の為に情報を遮断して首を長くして
放送待ってると思ってんだ!!!
ぶぅわかものぉー!!!(ノ¬ω¬)ノ===__l___l_
俺は猪木が藤波の飛竜原爆固めでピンを獲られた時のように愕然とし焦燥したね(妖笑)
いや本当にね・・・今思い返しても腹が立つわ!
あ〜あ〜天龍負けるんだぁ〜とは思ったが、せめて内容だけでもと思い、その後も
情報は入れないで観たような気がするなぁ。

ううむ・・・この項も異常に長いのだが、これも長年に渡って書こうと思っていたことなんでね。
まぁ許せ・・・って何で許してもらう必要あんだか(妖笑)

そしてブロディvs天龍なのだが!結果としては両者リングアウトの引き分けであり
天龍は負けなかったけどね。だがお決まりの結果ではあったが試合自体は素晴らしく
大変に俺は満足したものだ。ブロディのトップロープからのニーなんて他で殆ど見たことないしな。

さて、ここでもう一つ声を大にして長年言いたかったがある。
それはこの試合の放送中に馬場が漏らしたことなのだがね。
「統一された暁にはPWFとUNは封印しインターだけ残しますよ」
これだ!!!この一言が俺には未だに引っかかるのだよ!なのに現在まで統一されたのに
未だにPWFとUNは封印されずに「サンカン」という名のタイトルになってるのはご存知の通りだ!
馬場さんの嘘吐き!!!俺は未だにこう思うわけで(笑)なので!現在でもPWFとUNは認めてない。
故に今でも「サンカン戦」のことをインター戦、インター戦と言ってるわけだ。
いや〜考えてみれば実にしつこいというか何と言うか(笑)
まぁこのことに関しては「サンカン編」で詳しく書くわ(笑)

第18代 ジャンボ鶴田 防衛5回


そんなわけで「次々週の放送」にて鶴田がブロディから見事に王座奪取。
雪崩式ブレーンバスターからバックドロップという完璧な試合で内容も良かった。
よく鶴田が後年、怪物怪物言われていたが、三沢や川田のような格下相手の試合よりも
その怪物性や強さが際立った試合だと思うのだが、あまり語られることがないようだな。
それにしてもだ!このシリーズは3冠統一がメインというかウリだったのだから
当然この仙台大会では大阪で引き分けたブロディと天龍の再戦が行われるのが
筋だと思うんだがねぇ・・・。そりゃ統一されてなら、その統一後の最初の挑戦者が鶴田で
いいと思うけどさぁ・・・ううむ。
そしてもっと不可解なのがこの後に王座統一の機運がアッサリと下がってきたこと。
そりゃまぁ年間の核である鶴田と天龍との抗争にはシングルでベルトは賭けないことに
なってたからとはいえ、ちょっとやりっ放し過ぎじゃねえの?こう思うわけよ。
だが再度統一の機運が盛り上がってきた為かPWF・UN王座を天龍からハンセンに移動させた。
鶴田vsハンセンならばタイトル戦でいいだろうってことだからかね?
なんだかなぁ(笑)しかし!鶴田vsハンセンに名勝負なし!の格言通りに(そんなのねえけど(笑)
2度行われた統一戦はいずれもお決まりの不完全燃焼試合。
これにはファンもいい加減にしろ!ベルトを数多く賭けりゃいいってもんじゃねえ!
本当に統一させる気があるのか!などと怒りと不満が大爆発(笑)
そしてようやく鶴田vsハンセンによる3度目の統一戦によって史上初の統一がなされましたとさ。
しかし決まり手は・・・何も言うまい(笑)そんなことよりもだ!
統一されたのにPWFとUNが封印されねえよ!!!ってことだ!!!
そんなわけで「サンカン編」に続く・・・。

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